2010年12月28日火曜日

のめないけどぉ 飲んでます

 今年世話になった人 世話した人 来年迷惑かけそな人と連夜飲んでます。 飲めないけど、ぽん酒のんじゃったりなんかしたりしてねん。 こんなに押し詰まってから、来年しばしば共演してくれそうな人と出会ったりなんかして・・・・ここ数日楽しくやってますわん。 わん みなしゃんどうかねェ
世の中なんだか、きな臭いし わっしも含めて将来の展望なんて見えない人だらけやんか~ガンバリズムにも限度あるしなぁ 楽しくやろうや御同輩諸君 !! それしかないでェ 仲間をつくってね 年齢なんか問題じゃありゃせんよ~ この時代すかしとったらはじまらんわいなぁ。 あぁ そうそう、こないだ身内のパアーテイで一緒やった、ラキタ君ちゅう子の演奏よかったわ~ まだ19歳
、なくなった どんとさんの御子息らしんやけど 「よかったでェ」ちゅうたら、頬を紅潮させとったわ。若いってええなぁ~なぁンちゃって。 おっさんもやるでェ じゃあ まったねェ!!!!



 

2010年12月25日土曜日

メロメロ~クリスマス

 天皇誕生日とクリスマスがつながってるのって、マジなんか笑えるゥ~ 昨夜は新大久保アースダムでフールズのパーテイn行ってきました。 耕さんはいないけど、盛り上がってたよゥ! 人違いして話しかけてナンパ親父にまちがわれたけどねェ 気にしないィったら気にしないィ~ 耕さんの代役でいっぱい唄い手が出てきたけどみんなよかったよゥ! 楽しむって大事なことよねェ 時には馬鹿になってェネ。 仕事いってきまうす~ 

2010年12月21日火曜日

冨士夫さん

 山口冨士夫さんのライブを見て仲間と飲んでさきほど帰宅したのよ。よかったなぁ~大好きなベースプレイヤーのカズさんのプレイも堪能出来たし、元ダイナマイツの吉田さんのベースも渋かった!ドラムの直美さんも良かったしギターの、ピーチャンもドライブしてたね。選曲も、スタンダード有りダイナマイツ有り、村八分有り、ティアードロップス有り・・・まさにベスト・オフって感じやった。 何より前回より冨士夫さんが元気だったことがよかったねぇ。 良いライブを見ると頭んなかのモヤモヤがすっきりするようだねぇ。

2010年12月18日土曜日

ナベ ちゃん と カズさん

 最近あまりベースを弾く機会がないんやけど、最初に真剣にとりくんだ楽器はエレクトリックベースだった。いちばんの目標は 「MGs」のドナルド・ダックダン ! ブルースブラザーズで 「カントリーは、ェーだ。」とのたまうあの御仁である。 でも、もっと もっと 身近な俺のベースヒーローは、じゃがたらの、故ナベちゃんと 元フールズの、カズさんだ。 ひとりは故人 ひとりはおもてだった音楽活動活動から身を退いているらしいのが、かえすがえすも残念でならない。 じゃがたらのライブにおける、ナベちゃんのベースプレイにはなんど持って行かれたことだろう・・・あの重心の低さ!うねり ヴァイブ !! 双璧をなすのは、ウェラーズの、アストンバレットくらいのもんじゃなかろうか? いやホンマ 悔やまれるのは、彼が晩年やっていたバンドのライブを見逃したこと 「 リズム&ブルース」 をやると宣言していたらしい、うなずける話だ、ナベちゃんのベースプレイがリズム&ブルースそのもんだものね。  カズさんのベースプレイもまた独特のタイム感でせまってくるものだ。冨士夫さんとの、テイアードロップスでのプレイも忘れられないが、何といってもフールズでのプレイにはやられまくりやった。 あの常にミュ-トがかった音色、のってくるとくりだされる妖しいステップ・・・・ おおそうだ、未確認情報ではあるが、20日の冨士夫さんのステージではバックをつとめるらしい。 ベース ベース ベース リズムギタリストと知り合えばいつだってベースを弾く準備はできてるぜぇ 

2010年12月16日木曜日

宮沢正一さんのバンドのベース弾き天野君

 ラビッツトいうバンドが大好きだった。宮沢正一さんが率いていたサイケデリックロックバンドである、近年CDで再発されたりしてるので知ってる人もいるかもしれないが、82年当時のマイナーロックシーンのなかでもさらにマイナーな存在だったような気がする。 京都「拾得」でライブを見ていっぺんにファンになった私は、即マネージャーの金森さんにコンタクトをとり自身のライブイベントに招いたりしていた。 そのラビッツでベースを弾いていたのが当時18歳だった天野クン ベースなんてコードのルート音さえ、ブンブンひいてりゃ音楽になると安易に考えていた私を開眼させた彼の奏法! リズムギターにブリブリ絡みながらもメロディアスに流れるように弾く・・・影響を受けた私は四苦八苦して何とかその奏法をマスターしようと躍起になったもんです。 短いツアーの間しか交流しなかったし、私もまだシャイだったので話しこんだりしなかったけれど・・・・今どうしてるかなぁ ひとまわりも年長の宮沢さん達と対等に議論していた天野クン ピンクフロイドが好きだった天野クン 黒い服しか着なかった天野クン ・・・ 宮澤さんは家業を継いだらしいけど あれから27年経ちましたねぇ      

2010年12月13日月曜日

1984年 夏 阿部君のこと

 1984年の夏、平均年齢二十歳の我々四人は大塚のオレンジスタジオでバンドの練習にあけくれていた。「ディジーミスリジィー」 「マネー」 「グロリア」・・・そんな曲をやっていたんだが、ベース担当の俺は腕がいちばん未熟だったためた、ただただリードギターの阿部君のフレーズをおっかけていただけだった。 今まで知らなかったこの感じ、彼のギターに合わせて弾くと自分が何だかうまくなった様な気さえして・・・今までしらなかった世界につれていかれるのだった。 弱冠19歳の彼がテレキャスターから繰り出すフレーズはブルースやカントリーの滋味豊かな世界を翻訳機にかけずに、純粋培養したもので軽くあくまで軽やかにスィウィングするもので メンバーの誰よりもアフタービートを感じさせながらだれよりも前のめりに進んでいくのだった。 ドラムのツトムちゃんもベースのおれも、リズムギターの渡辺君も彼を追っかけるのみ・・・そんなバンドが長続きするはずもなく、阿部君はこのバンドを脱退したり再加入したりを繰り返すのだが・・・軽くオープンGにしてくわえ煙草で100円ライターで絶品のスライドギターを聴かせてくれた阿部君 空手着が似合う女の子と付き合いたいと恥ずかしそうにしてた阿部君 どんな曲でもリクエストに応じて弾いてくれた阿部君 ジミーヘンドリックスの事を絶対ジミヘンと言わなかった阿部君  一年違いながら俺と誕生日が一緒だった阿部君  中学中退だった阿部君 インテリ家庭のはみ出し者だった阿部君 あれ以来消息不明だけど・・・・どうしてるかなぁ ギター弾いてるだろうか? 僕は君のギターが大好きでした。

2010年12月12日日曜日

あの娘の ぶるーす 僕チン ホンキィトンク

 ブルースフィーリング求めてやまないもの。 ただそれだけ・・・音楽の、ジャンル分けとしてのそれではなくてね。ある時はリズムの話しだったり、音色の話しだったり、人柄の話し?だったりしちゃうわけ~ そんなに難しい事じゃないわなぁ でも たりんなぁ~ 全然 たりてへんわぁ そりゃあ アタシの思い込みの中だけの話しかも知らんよ。 せやけどなぁ それがないと ピューッと通り過ぎていっちまうんさぁ 胸の中になぁ~んかあったかいもんが残らへんのよ。 ぇええっ お前の話しはいつも抽象的で独善的でよう分からんてかぁ ! じゃあ次回から アタシが肌で感じて知ってるミュージシャン(この言い回しもあんま好きくないけどなぁ)の事ちょっとずつかいてみるわ !! ブルースフィーリングを持ってる世間的にあんまり名の売れてない奴の事をなぁ・・・しゃぁから キースさんとか ボブさんのことはかかへんでぇ 覚悟しとけよぉ (変なテンションですまんなぁ)  

2010年12月11日土曜日

師走が苦手なあかん僕・・・・

 毎年この時期だめなんすよねぇ 訳もなく調子が出ない。まぁ単純に寒さに弱いちゅうのもあるけんど、師走を迎えて何だか街がソワソワしだすようなこの感じ・・・苦手やねぇ。まぁみなさん年内にすませなきゃならん用事も多々あるやろうし、しょうがないんやろうけどもねぇ こちとら、いつものごとくいつものペースで ト・ホ・ホな感じなんですわ。どないしよう? いや あかん あかん まずは部屋の掃除や BGMはノリのええやつかけて、キレイきれいにしてこましたろう。部屋の空気感が変われば気分もアップするやろう 南国の音聴こう! えーっと カリプソのコンピどこやったかいなぁ あぁっ あれは、さくちゃんに貸したきりか~クウ-ッ じゃあ あれ・あれ とっておきの 1920年代のハワイアンのコンピ これ これ これ聴きながら むりやり鼻歌 唄ってこましたれ! 俺は世間と歩調を合わさんぞぉ~と 鬱鬱と傾きがちな気分をむりやり軌道修正せんと奮闘する てりぃさんなのであったぁ !!                                                                                                                                                                                                   

2010年12月10日金曜日

冬将軍と鍋奉行それからジョンレノン

 ジョンレノンが無くなって30年が過ぎましたねぇ。活動再開の報がながれメディアが色めきだち、FM放送で何度も特集が組まれる中エアチエック( 死語かなぁ~ )を繰り返し僕は初めて彼の音楽に魅了されていったのでした。それまでは75年頃だされた 「ロックンロール」というアルバムをもっつてはいたんだけど、ろくに聴いちゃあいなかったような気がします。パンクやニュウウェーブに傾倒していた僕にはピンとこなかった・・・でもFMでながれた 「コールドターキィ」の狂おおしさや、「ジェラスガイ」の繊細さにはかなり グッグッときた十六歳の秋でした。で、「スターテイングオーバー」です。当時はなんだか肩すかしをくらったような気がしましたねぇ。柔和過ぎる感じでね・・・だもんで、買わなかった 「ダブルファンタジー」・・・今は痛いほどグッときますよ。この唄にも「ウーマン」も「ビューティフルボーイ」にもネ。ヨーコさんの唄もね・・・時々はとばすけどもね。ジョンの唄ってなんだかすぐ耳元で唄われてるような感じなんですよね。声の質とかミックスの妙とかあるんだろうけど・・・・来年のライブじゃまた、ジョンの曲を唄おうかと思うしだいです。ゆるしてねヨーコさん #

2010年12月6日月曜日

万世橋の上で・・・・

 今日一日ふらふらと、新宿、お茶の水、秋葉原と歩き回り先程帰宅したんなり~相当歩き回ったにもかかわらず手にした ブツは、1940年代のカンサスシチィジャズのコンピLP一枚っきり¥200でげす。ホントはもっとでかい買い物をするべく、Y電気とか!カメラとか Sマップ やらを見て回っていたんやけんれど何か一向に心が高揚せえへんさかいに、あきらめていつものようにレコ屋によったんさ~ お茶の水に新しくできた ズ-ジャの専門店にねン そしてキラ星のごとく美しいジャケットを眺めながら、タメ息をついてたってわけさぁ ホンマは正規の30センチより少し小さな25センチジャケのデキシィランドジャズかアーリージャズをさがしとったんね。あくまでジャケの美しいやつをねん。でもねんそういうやつには平気で¥7800とか値がついちょるけんねぇ でもってしてバーゲン価格のこれ 今我が家でガンガンなってる カンサスシチィジャズを買ったわけさぁ ええでェこれ 少しサボり気味だったサックスの練習を再開センやねェ でもネエ ホントはね本日一番心に残ったのは 万世橋の上で老人二人がしていた会話なんよ 二人はおそらく、生まれも育ちも神田てな感じのチャキチャキの江戸っ子 最初は離れていたので 「・・・・・・・・まぁ色々あらーなぁ・・・・・」 「・・・うん・・・うん・・・」 はっきりは聞き取れなかったのだけど、ぼやきというか嘆きというか、そんなたぐいの会話だった。 でもね 最後にその嘆き節の最後の最後に、見事な銀髪の老人Aが七宝焼きのループタイもいなせな老人Bの肩を叩きながら、言ったんさぁ 「長生きしょうやぁ」ってね。 小生のつたない駄文じゃあ伝わらんのやろけど、柄にもなく じ~んときちまったってわけさぁ ベイビーそれだけの事さぁ 
 
                                                 

2010年12月4日土曜日

chet atkinns で夜は更けて

 便利な時代になったもんやおまへんかぁ。ビートルズのジョージも心酔していた、ギター名人チェットアトキンスの初期作品五枚組が通販で、一日で入手できるなんて~これ聞いてるとワシの知ってるチエット(洗練された近年の音源)やのうて、カントリーちゅうかヒルビリーちゅうかまだまだ泥臭い匂いプンプンな時代のチエットを満喫できるわぁ 最近になってこの手のギターリストが気になって仕方ないので、いちどその源流を辿ろうとおもて、こうてみたん。ええわぁ~飽きるかもしらんけどぉ・・・いやいやそんな事ないやろう。抜群のスイング感! 優しい音色 !でもどこか大味なアメリカンサウンド な~んかジャズみたくも聴こえるしなぁ まだ一枚目を聞いてんのやけど、けっこう本人唄ってるのよ、唄声もええよぉ。高円寺の夜は、チエットアトキンスのグレッチの音色で更けて行くのであった・・・ジャン ジャン 

2010年12月3日金曜日

メリケン~エゲレス~アフリカ* ヴィヴぁ軽音楽

 アッシの親父はバリバリの昭和ひと桁生まれの戦中派、進駐軍相手に 「ギブミーチョコレート・・」と言ったかどうか知らないけれどね。愚息のアッシは思春期を迎えて以来このかた 「洋楽かぶれ・・・」外国にも一度しかいった事ないけれどもね。ポンニチで敬愛するミュージシャンのほとんどが、無名もしくは世間的に名の売れてない人達 何故か?その理由のほとんどはわかっているけれどもね。アメリカ民謡の底抜けに明るく同時に憂いを帯びたメロディー、アフリカ起源のブルースその揺れるリズム、憧れ エキゾチズム う~ん 津軽三味線にビートを感じたことはある。沖縄の民謡にユーモアを感じたこともあるよん 確かにね でも あっしも含めて 「日本人って暗いねぇ~性格がくらいねぇ~」(江戸アケミ) なんかねぇ~ じぇいぽっぷって 「なんのこっちやい」 ・・・・・自分にそれ相応の文化的背景がなくても、かぶれる事は自由だかんね。かぶれて、かぶれて、かぶれきって、その先に見える何かをつかみきった時、そこから何かが生まれるんやなかろうか。あっしにとっては、じぇいぽっぷとやらは この時代の 「閉塞感」を象徴する唄に響いて仕方ないんよね。 どやろうねぇ  まぁ ええか ヴィヴぁ軽音楽ちゅうこってェ ウッしっしっしっ オーィェー
              

2010年12月1日水曜日

70s しらけの時代

 しらける、とか今言わんのかなぁ?子供の頃両親に「あんたぁしらけてんなぁ・・・」と良く言われたもんです。何事にかんしても距離をとり熱心になれない状態? 70s全般を指して 「しらけの時代」と呼ばれる事もありますにゃあ~政治の季節が過ぎ、良くも悪くも無風状態、人々は物質的に充足しあたりさわり無く生きることを、ひとつの指針としたそんな時代・・・・もちろん例外的に熱く生を燃焼させた人もいたやろう。でもひとつの風潮として、しらけの時代であった事は事実やないやろうか?そしてそれは今「オタク」と呼ばれるような人を生みだした潮流やと思う。僕・・? 確かにしらけた子供ではあったやもしれんが、その時々で必ず何かひとつのものに熱中していた。漫画、プラモ、・・そしてもっとも多感な14歳という年にロックに出会ってしまうわけやん。デ・モ・ネ やっぱり未だにしらけたとこあるよん。 しらけ鳥~とんでいくゥ 南の空に~なんてなぁ”さして大事でもないもんに、つまらない価値観に振り回されないために自分の中に 「しらけ鳥」を飼い続けていこうと新たに決意する ららばいてりぃ 46歳の秋なのだ~なんちゃって!