2011年4月23日土曜日
金子光晴(詩人)
金子光晴いわく・・・「芸術家と呼ばれる人間は、リアルと常識の間のずれや矛盾に特に敏感な人間のことである。 芸術家は、それに、自分なりの表現を与えようとする意欲をもつことのできた人間のことだ。」 ひょんなきっかけから、この詩人に興味を惹かれ随筆や紀行文を中心に目を通してきて、最近ぶつかったのが上記の文章である。「リアルの問題」と銘打たれた随筆の抜粋なのだけれど、なんだか妙に心に沁み入った。 「どうして芸術などと言うものに心惹かれるようになったかと言うと、それを一口で答えれば逃げ場所を求めると言う事に尽きる・・・人間は、自分の立っている地点から遠ざかるにしたがって、まったくぼやけてしまって、感覚の届かないところで起こった事柄には、関与出来ない・・・現実という対象は、いつまでもあいまいである。」 自伝を読んでみても感じることだけれど(やや偽悪家ぶってはいるが・・・) きわめて人間臭い人だったようだ。
2011年4月9日土曜日
阿佐ヶ谷名曲喫茶ビィオロンにて・・・たたずみ
明日と言うか、もう今日ですが阿佐ヶ谷のビィオロンという名曲喫茶で、詩を書く仲間数名と「音楽と朗読の夕べ」を催します。ほぼ始めての試みでも有り、どう転ぶかまったくの未知数では有りますが、主催の我々にとっても来てくれた人達にとっても何か、ひっかかりのあるもの心に残るものにしたいと思っています。言葉も音も放たれた後は、あとかたもなく消え去り、残るとすれば各々の心の中にだけです。我々は言葉をぞんざいに扱いすぎてるやもしれません。いや僕自身がとくにそうかもしれませんねぇ・・・・明日もう一度そのへんを考え直したいとおもっています。お会いしましょう阿佐ヶ谷で・・・・・
2011年4月7日木曜日
生きてます・・・・
大変なことがおこりましたねぇ ブログを書かなかった事とは関係はないんですが・・・連日の報道を見て、ただただ驚愕してました。拙宅では多少破損したものはありましたが、ただそれだけの事、被害は何もないし計画停電とやらの地域からも外れているので、日常生活もほぼ普段どうりです。でもいつ何どき、私も被災するやもしれません・・・少額ではありますが買い物をした時の釣銭などを募金したり、知人の要請で物資を送ったり、あくまで自分の生活の範囲内で出来うることをやってます。誰にとっても、ひとごとではないですよねぇ。 でもこの震災を機に世の中の流れが、いっきにおかしな方向に流れていかぬよう、ただただ注意深くかつ傍観者にならぬよう暮らしてゆきたいと思っています。
2011年2月20日日曜日
クラリネット
またぞろ新しい楽器に手を出してしまった! 黒くて長くて手強い奴 ! クラリネット オーマイ ゴッド・・・木管楽器である。クラッシックの世界じゃあ良く分からんが、軽音楽の世界じゃあ忘れ去られた楽器と言っても良いんじゃあなかろうか。 いや数年前から興味は有り、吹いてみたいとは思ってはいたのだが、何故か後回しになってしまっていたのよ。 サックスを始めて約一年足らず、この際並行して始めてしまえと、俺の中で何かがふっきれたのさ~ やるぜ~基礎の基礎から、ドレミ、ドレミ・・・さすがにサックスは部屋じゃ練習できんが、クラリネットなら何とか・・・昼間ならねぇ 頼むよ隣人、大目に見てちょうだい(笑)
2011年2月11日金曜日
俺たちのはじライ(初めてのライブ)
丁度今を遡る事30年前、俺達三人組の初めてのライブは、今は亡き「京都フレンチマーケット」という店だった。 目茶苦茶なデモテープを持参したら何故か?すんなり出演オッケイと相成ましたとさ・・・ しかも対バンなしのワンマンでツーステージをこなせと ??? である 今考えると ?マークがいくつあっても足らない感じのブッキングであ~る。 でも若いって怖い、いや無知って素晴らしい? やったとも、やりましたとも、ノイズともパンクともつきかねる様な蒼い想念を、ぶつけましたとも90分近くもね・・・・ 「うちの猫にやらせたほうが、まだましや・・・」と店のスタッフに称賛?を浴びるほどのジャンクな演奏を、しかも何人はいったのかギャラまで手にしてウィスキーまで御馳走になっちゃつたりしてねぇ おまけに何故か「良かったです~」なぁんて年上のお姉ぇさまから、本気でお褒めの言葉を頂いたりしちゃって、何だか~ お元気ですかぁ 「竹内さん」 「じゅんこさん」 恐ろしい事に今もこの僕と木村君は30年前と変わらずに、自己流の音を出し続けているのですよ。 褒められたことではありませんよね(笑) 陳腐な言葉であるが青春である。あの日からはじまった・・・そしてまだ終われない。
2011年2月2日水曜日
ビニール本
1980年、俺たち16歳三人組 俺(ベース、ヴォイス) 圭志(ギター) 辻(シンセ、ヴォイス) 当初はその当時大好きだった、スペシャルズなどのスカを演奏したくて、辻にはサックスを購入するように要請したのだけど、なぜだか? 奴は当時ようやく安価になりつつあったモノフォニックシンセを購入しやがったのだ。 演奏技術がない事も相まって、その時点で方向性が決まってしまったような気がする・・・ついでにバンド名まで辻君の発案で 「ビニール本」 ・・・エロ本である。書店で立ち読み出来ないように、ビニールで真空パックされたエロ本を当時はそう呼んでいた。 子供なりに反体制をきどってみたかったんだろうか・・・ 今なら人前に立つまでには、それ相応の練習を積むとこなんだけれど、怖いもの知らずの十六歳三人組は即座に京都市内のライブハウスの門を叩いたのであった。 多分続くであろう・・・・・
2011年1月31日月曜日
new wave 圭志
1979年何とか公立高校に進学した俺は迷わず、軽音楽部に加入した。見学にいったさいに先輩バンドが演奏していたのは、チューリップの「心の旅」と、カルメンマキ&オズの「私は風」・・・時代である。 そこで友人から紹介されたのが、木村君 まさか まさかの三十数年の付き合いになるとは、トホホホホのホ・・・当時は思いもしなかったのである。 彼の提案で生まれて初めてバンドを組んだ。 夏休みの教室で飽きもせずに、ビートルズのゲットバック一曲のみを、繰り返し練習したもんだ。 だがしかし二年に進級すると奴はいずこともなく姿を消しやがった! 人知れず転校しやがったのだ。 ポールマッカートニーが入国出来なかったのがショックだったのか・・・いやいやまぁ家庭の事情ってやつやろう。 俺達は十六歳だった・・・ドクターフィールグッドも見たし、ジャムも見た、ポリスも見たし、RCも見た、じゃがたらも見たし、何故かフォリナーなんてバンドまで一緒に見たのだ。奴は言った「軽音じゃなく、バンドを作ってライブハウスに出ようや」 寝耳に水である。 「そんなん無理やん」 と俺、しかし奴は執拗だったのだ・・・・ 続くよん たぶん
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